木曽檜について

木曽檜とは

木曽檜 学名:Chamaecyparis obtusa

木曽檜は秋田のスギ、青森のヒバと並び、日本三大美林のひとつに数えられています。

木曽檜は建築資材の中で最高峰と位置付けられてきた自然界が作りだし育てた天然の檜です。

現在では数が減り、とても高価な材木となっています。

伊勢神宮では20年に1度、社を新しく建て替える式年遷宮と呼ばれる行事が行われ、大量の檜材を使用しています。古くは伊勢国の檜を使用していましたが、次第に不足し、18 世紀には木曽山を御杣山と正式に定め、ここから本格的に檜を調達するようになりました。

また、学術研究等のための保護林としても利用されています。

木曽檜の特徴

一般的に「木曽檜」といった場合、150年以上の天然の檜を指します。
木曽檜は日本最大の天然檜林です。最老齢の檜は700年くらいで、胸高直径120センチに及びますが、老齢になると成長はぐんと遅くなります。

檜は木曽以外の地域では40年程で太くなるのに対して、木曽檜は同じ太さになるのに約70年もかかります。それは山の傾斜が険しく、多雨で寒さが厳しい自然環境のため、生長に時間がかかるのです。

しかしその分、木目が細かくなり、弾力性の高い木になります。また、ゆがみや縮みが少ないため、極めて建材として、適した用材になります。

また木曽谷の檜は、細胞壁が緻密で年輪幅が細かく、反り・曲がりなどの狂いや割れが非常に少ない木材です。特筆すべきは、他の樹種の追随を許さない、その耐用年数の長さです。伐採後、数100年に渡り強度を増していき、1200~1300年という気の遠くなるような時間を経て伐採時の強度に戻るといわれています。世界遺産に指定された法隆寺の五重塔に木曽檜が使われているのは有名な話です。

その他の特徴として

  • 色沢が淡白で、水拭きを続けるといつまでも白さを保つ。
  • 均質で、違った丸太から挽いた板でも、同一の丸太から挽いたもののように、良く揃う。
  • 加工容易、柔軟で「あて」が少なく、曲げ物にも適する

といった点が挙げられます。

逆に欠点として

  • 脂分が少なく、艶に欠ける
  • やや柔らかすぎるため、縁甲板や沓ぬぎ板には適さない

木曽で生育する檜は、樹齢300年以上の天然木曽檜と後に植林された木曽檜があります。植林の木曽檜も、ある程度の年数を経ると天然木曽檜と変わらないといいます。というのも、木曽の植林檜は種を天然木曽檜から採取し、その苗木を山に戻しているため、天然木も植林木も基本的には同じであり、植林木は苗床で栄養を与えられて育っているからです。

木曽檜の歴史

伊勢神宮 / 三重県

木曽檜の名が世に知られるようになったのは、伊勢神宮の遷宮用材の産地に選ばれた14世紀中ごろからです。

木曽からの木材の搬出は鎌倉時代から始まりました。その後、豊臣秀吉の時代以降、日本各地のお城・神社仏閣など幾多の建造物の用材として使われましたが、大規模な伐り出しが始まったのは江戸初期からです。記録によれば、万治元年(1658年)から寛文元年(1661年)までの4年間に、名古屋・熱田の白鳥貯木場に運ばれた丸太は254万本に達したそうです。

木曽を直轄領とした徳川幕府は尾張藩にその管理をさせました。

当時は次々と木材生産の命令が出され、全山の80%に当たる良木の強度伐採が100年にわたって続きました。その頃の伐採跡に植林を行う考えが無く、明るくなった地表に檜が自然更新しました。一方で、過剰伐採による資源枯渇の危機感が生じ、尾張藩は寛文5(1665)年に巣山・留山制度を設けました。さらに、宝永5(1707)年には、ヒノキ・サワラ・コウヤマキ・アスナロの四木、その後ネズコを追加して五木について、御用材以外の伐採を禁止しました。「木一本首一つ」といわれる厳しい保護政策が行われ、盗伐、背伐などを犯した者は厳罰に処せられました。尾張藩は、このように厳しい管理体制を敷きましたが、一方で財政ひっ迫のため伐採を広げることも行っていました。

【木曽の五木】

※巣山・留山制度

「巣山」とは鷹狩りの鷹を保護する名目で特定の山林への民衆の立ち入りを禁止したもの。「留山」は、優良な樹木のある山林を指定して、立ち入り・伐採を禁止するもの。

木曽檜の森林

現在、木曽森林管理署管下の蓄積は1870万平方メートルあります。このうち、檜(天然・人工合計)は約4割を占めています。

木曽檜林は先人たちの手が入ることで形成されてきた森林ですが、300年以上が経った現在、いくつかの課題があります。

林内に後継樹が全く生育しておらず、林床を胸たけ以上の濃いササが覆い、今の状況では、今後とも天然更新が困難と見通されます。

地域によってはササの薄い箇所もあるものの、更新しているのは、暗い林内でも旺盛に生長するヒバ(アスナロ)の稚樹ばかりといった状況にあります。

一方、保護林に指定し、保存に努めてきた木曽檜林では、近年、点々と枯死木が発生し、周囲に枯死が広がりつつあります。

このように、木曽檜林は、今後、上層木の衰退が進行する一方で、自然状態では更新が期待できず、こ のままでは木曽檜林の永続的な維持が危ぶまれる状況にあると考えています。

天然檜の最後の砦が基礎

木の文化により栄えてきた日本。その中で重要な役割を果たしてきたのが天然檜で、今その檜が枯渇の状況にあります。最後の砦となるのが木曽の山です。

木曽山でわずかに残る天然檜と、今の人工林をいかに残し、育成して、子供・孫・未来の子孫へ残していくかが重要な課題です。

このページの先頭に戻る